大石大二郎 いてまえ打線を支えた小さな核弾頭
80年代プロ野球名選手列伝
鉄腕アトムの応援歌に乗せバットを高々と掲げ構える様は、いまなおオールドファンの脳裏に焼きついていることだろう。ひとたび塁に出れば積極的に盗塁を試み、セカンドの守備では俊敏な動きと軽快なグラブさばきでファンを魅了し続けた大石大二郎。いまは無き近鉄バファローズ、不動のリードオフマンは、80年代のパ・リーグを代表する名手であった。2011年はホークスのヘッドコーチとして日本一に貢献。その類稀な野球センスは、いまなお輝きを放っている。
高い走塁意識、日本一の影の立役者
92、126、148、180。この数字は、08年から昨シーズンまでのホークスのチーム盗塁数である。秋山幸二が監督に就任した09年(126盗塁)から3年連続で12球団一の盗塁数を誇るホークスだが、その数は増加の一途。昨シーズンも積極果敢な走塁を前面に押し出し、悲願の日本一まで昇り詰めた。
そんな“走るホークス”の象徴が、10年シーズンからヘッドコーチを務める大石大二郎である。当時の就任会見でも「川?(宗則)なら60盗塁は行ける」と、前年に44盗塁を記録したリードオフマンにさらなる奮起を促し、走塁面の強化を第一目標に掲げていた。さらに、秋山監督とは現役時代に盗塁王を争う間柄であり、2人の通算盗塁数はそれぞれ303(秋山)と415(大石)。中軸打者も躊躇なく次の塁を狙う近年のチームスタイルは、まさしく2人の現役時代そのものである。
大石は03年から就任した古巣・近鉄バファローズでの守備走塁コーチ時代も、前年、チーム全体で32盗塁とまったく走らなかったチームに盗塁の重要性を植え付け、オリックス・バファローズで臨時監督を託された08年には、坂口智隆や小瀬浩之(故人)といったスピード豊かな若手をスタメンに固定し、就任時は最下位だったチームを初のクライマックスシリーズへと導いた。
そもそも大石の走塁に関する意識は現役時代から高かった。プロの世界に身を投じた80年代序盤、パ・リーグには“世界の盗塁王”と呼ばれた福本豊(阪急ブレーブス)がおり、互いに“小兵”と括られた偉大なるリードオフマンを、大石はアマチュア時代から目標にしてきた。入団2年目の82年に、47盗塁を記録し新人王に輝いたが、惜しくも盗塁王のタイトルには届かず。しかし、打率.287、出塁率.372と打撃面での成長を遂げた翌83年は60盗塁と走りまくり、福本の55盗塁を抑え悲願の盗塁王のタイトルを奪取した。同時に、それまで福本が継続していた盗塁王記録も13年でストップ。この年から「1番・セカンド」として確固たる地位を築いた大石は、翌年も46盗塁を記録し2年連続でタイトルを獲得。これらの活躍で、パ・リーグを代表する選手として認知された。
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