松田直樹が残したもの
サッカーコラム
2011年8月4日に急性心筋梗塞で帰らぬ人となった松田直樹。彼が急逝してから半年が経過したが、真っすぐにサッカーを追い求めた男の一挙手一投足は、今も我々の脳裏に焼きついて離れない。1月22日の「松田直樹メモリアルゲーム」は彼のひたむきな姿を思い返す絶好の機会となった。
冷たい雨が振りしきるあいにくの天候にもかかわらず、2002年日韓ワールドカップで日本代表を率いたフィリップ・トルシエ、山本昌邦コーチを筆頭に、U−17からA代表まで全カテゴリーの世界大会を共に戦った中田英寿、自国開催のワールドカップでフラット3を形成した宮本恒靖、森岡隆三……と、合計70〜80人もの仲間が松田のために結集した。スタンドにも4万人を超える熱心なファンが詰めかけ、彼の絶大な人気と存在感をあらためて痛感させてくれた。
試合は松本山雅対横浜F・マリノスOB、Naoki friends対横浜OBの2ゲームがあり、それぞれ白熱した戦いが繰り広げられた。横浜OBの一員として2試合目の前半にプレーした中村俊輔(横浜FM)が「マツさんは真剣勝負が好きだったから」と話すように、選手たちは志半ばにしてこの世を去った仲間に思いを馳せながら、最大限のパフォーマンスを披露した。
松田に「自信を持ってやれ。自分たちを信じてやれば大丈夫」と言われたことを心に刻み続ける松本山雅のFW片山真人のゴール、この試合の実行委員長で親友だった安永聡太郎の技ありゴールは、きっと本人にも届いたことだろう。
松田直樹はご存知のとおり、90年代から21世紀にかけて世界の扉をこじ開けてきた日本サッカー界の一翼を担った選手である。恩師・前橋育英高校の山田耕介監督も「球際が強くているだけでボールを跳ね返せる。走るストライドも広くスピードもある。中距離走も相当速い。『これが世界に通じる選手か』と強烈なインパクトを受けた」と高校入学当初の松田を述懐していたが、あのスケール感なら、今の時代なら欧州での活躍も十分ありえたはずだ。
あまりにもサッカーに真っすぐすぎるが故に、周囲との衝突も少なくなかった。トルシエ、ジーコ・ジャパン時代には、起用法に腹を立てて勝手に遠征先から帰国するという大胆行動に出たこともある。トルシエが「2002年ワールドカップ直前の静岡合宿で怒鳴り合いになってプールに突き落とされた」と打ち明けたように、指揮官との意見のぶつかり合いもしょっちゅうだった。
「素直さって、大人になると難しかったり、抵抗があったりするけど、直樹はずっとそういう心を持ち続けていた。気持ちの伝え方、伝える人、場所、タイミングを間違えるから厄介なことになってたけど、その素直さが俺はうらやましかった」と親友・安永もしみじみと語っていたが、破天荒なキャラクターだからこそ、より強く人々に愛されたのだ。
松田のような「自分の思いを全身全霊を込めて伝えようとする人間」は、事なかれ主義者の増えた今の時代、そう多くない。稀有な存在といってもいいだろう。サッカー界でも指示待ち人間の増加とコミュニケーション不足が問題視されている。実際、育成年代の試合を見ていても、声がほとんど出ていない、選手同士で意見を言い合わないという現場にしばしば直面する。昨季限りで引退した宮本も「今の若い選手に自分たちの発想がないって話をよく聞くし、マツみたいに自分で考えて行動していく部分を大事にしてもらいたい」と強調していた。
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